2015年




ーーー7/7−−− マタイ受難曲


 
最近バッハの「マタイ受難曲」をよく聴く。この曲は、新訳聖書のマタイによる福音書の中の受難の章(26,27章)に曲を付けたものである。福音書の記述に忠実に展開されるが、その合間に創作による歌詞も現れる。全体で三時間を超す大曲である。

 中学校の三年生の時だったと思うが、音楽の授業でマタイ受難曲を歌った。曲の中に何度も登場する有名なコラール。中学生が歌うにはいささか重い感じの曲だが、音楽の教師の好みだったのだろう。何度も練習をし、最後には学校の音楽祭で、学年全員で合唱をした。歌い終わったときの、先生の満足げな顔を、今でも覚えている。

 それがマタイ受難曲との出会いだったわけだが、その後はさっぱりご無沙汰だった。たまに家にあったCDを聴いた事もあったが、カラヤン指揮のその演奏は、三枚組の一枚目がどういうわけか紛失しており、なんとも中途半端な印象だった。

 数年前に、知人からCDを貰った。国内の、バッハ研究者が指揮する演奏で、学術的には意味深いものだそうである。古楽器を使った演奏で、これまで聴いてきた大オーケストラの演奏とは印象を異にしていた。ともあれ、このCDは、何度も聴いた。それで、少しずつマタイ受難曲への関心が増していった。

 今年になって、図書館でCDを借りてきた。ジョン・エリオット・ガーディナー指揮によるもので、やはり古楽器を使った演奏。これは気に入った。表現されている宗教的な世界が深いように感じた。厳粛な演奏というよりは、愛が感じられる演奏である。ネットで調べてみたら、この曲の名盤ランキングで、上位のアルバムとのことだった。図書館に置いてあるCDには、名盤と言われるものが多いのかも知れない。

 ネットでさらに調べたら、マタイ受難曲の決定版ともいうべきアルバムが存在することを知った。カール・リヒター指揮の1958年版である。この曲の名盤ランキングを考える際には、このアルバムは別格として除外するという記事もあった。そういうことを言われると、すごく気になる。ネット配信で聴くこともできるが、それでは飽き足らなくて、格安盤を見つけて購入した。

 通して何度も聴いてみた。確かに、部分的には極めてインパクトのある演奏があった。しかし、全編を通じて他のアルバムを寄せ付けないほどのものかと言えば、どうだろうか。少なくとも、一部を聴いて、この演奏だと特定できるほど際立ったものは、私の耳には感じられなかった。

 ところで、だいぶ以前の事だろうが、このアルバムについて国内の著名な音楽評論家Y氏が、こんな事を書いたそうである「この演奏の中の『ペテロの否認』や『百人隊長の独白』を聴いて涙しない者は、音楽を聴く必要が無い」
 



ーーー7/14−−− 孫が一歳に


 孫が生まれてちょうど一年になった。初めての孫なので、生まれるときはもちろん、その後の様々な出来事が新鮮だった。ともあれ無事に一歳の誕生日が迎えられたことを、感謝したい。

 現代は、携帯電話(スマホ)にラインなる機能が付いていて、画像や動画をやり取りできる。大阪に住む長女から、毎日のように「はるやん」の画像が送られて来る。家内と共に、それを楽しみにしている。「今日ははるやんまだかなぁ」などと、気をもんだりもする。時には動画も送られて来る。部屋の中をスタスタ歩くシーンには、おもわず微笑んでしまう。それを、何度も繰り返して見る。

 ビデオ通話で、リアルタイムのはるやんを見ることもある。手を振ったり、声をかけたり、ワイワイ大騒ぎをしながら、小さな画面を覗き込む。こちらの呼びかけに反応を示すこともあり、楽しい。すぐに30分くらい経ってしまう。

 便利な時代になったものだ。孫と離れて暮らしていても、手に取るように成長の様子が伺える。こういう便利さは、歓迎だ。




ーーー7/21−−− 千葉は暑かった


 
義父の訃報が入った。翌日、家内を伴って車で千葉へ向かい、四日間をかの地で過ごした。一連の弔いの行事は滞りなく終わったが、とにかく千葉は暑かった。

 七月中旬に比較的大きい台風に見舞われ、それが過ぎたら梅雨明けとなった。日本海に去った台風に、南風が吹き込んだためとかで、急に暑くなった。穂高でも、35.3度の最高気温を記録した。驚かれるかも知れないが、信州安曇野でも真夏は35度を超えることがある。しかしその暑さは、数値で感じるほど激しくは無い。

 湿度が低いためと、標高が高いせいであろう。日中でも日陰に入れば過ごし易いし、夕方になって陽が沈めばスーッと涼しくなる。窓を開けたまま就寝すれば、明け方には寒いほどである。我が家は北側に田んぼがあり、その奥には林があり、林の中を小川が流れている。そのせいで、特に有利なのかと思う。常時さわさわと流れてくる風は、心地よい涼をもたらしてくれる。我が家では、クーラーも扇風機も、団扇ですら使わずに夏が過ぎる。

 千葉の暑さは、厳しかった。クーラー無しでは過ごせない。夜もクーラーを使わなければ眠れない。車を運転する際も、クーラーをオンにする。信州を走り回るぶんには、クーラーを使う必要を感じたことが無い。車を購入してから一度も使わなかったクーラーに、今回初めて出番が来た。

 私は、就職してから12年間を千葉県内で暮らした。家内は千葉生まれで、30年以上を千葉県で過ごした。共に、暮らしていた時は不自由も不満も感じなかった。しかし、信州に移り住んで25年が経った今では、もう関東地方の都市部には戻れないような気がする。厳しい暑さで陽炎が立つような市街地を眺めながら、そんな事を話した。

 最終日、湾岸道路から都心を抜け、中央高速道を西へ走った。塩嶺トンネルを抜けて松本平へ降りると、北アルプスの連峰の上に白い雲が沸き立っていた。山があり、雲があるダイナミックな景観。その下に広がる緑の田園地帯。陽射しの強さは変わらないが、空気の透明感が違う。景色の鮮明さは、この空気の質によるものか。

 安曇野に戻ると、ホッと一息つき、心が和む、初老の夫婦であった。





ーーー7/28−−− 床屋の見立て


 
床屋へ行って、席に座ると「どうしますか?」と聞かれる。髪の毛を、どれくらいの長さに切るか訊ねているのだと判断し「耳に掛かるくらいに」と答える。散髪が進み、大方鋏を入れ終わると、手鏡をかざして「こんな感じで如何ですか?」と聞いてくる。これまでは、「いいですね、OKです」などと答えることが多かった。しかし、先日の場合は、ちょっと長過ぎるような気がして「もう少し短くして下さい」と言った。

 店員の中年女性は、一瞬何か言いたそうにしたが、黙って切り始めた。代わりに私は「床屋さんは、切り過ぎを心配して、長めに切ることが多いようですね。短くし過ぎたら、元に戻りませんからね」と言った。過去の体験からすると、どこの床屋でも、希望したよりも長めだったことが多かった。2センチ残しで切るようにリクエストしても、結果はどう見ても2センチより長かった。床屋の物差しは、一般人とは違うのかと思うくらいだった。希望したよりも短かったのは、記憶では一回しかない。それは自分の結婚式の前日のことだった。いきなりバッサリと切られて、ギョッとしたが、もはやどうしようもなかった。会社の近くにあったその店を、利用したのはその一回だけだが、いまだに名前を覚えているくらい、ショッキングな出来事だった。

 さて、私の挑戦的な発言に対して、女店員は意外にもクスッと微笑んで「そういうわけでもないんですよ」と答えた。「耳に掛かるくらい、と言われることが多いんですけど、その表現が微妙なんです。お客様が実際にどれくらいの長さを希望しているのか、憶測で判断しなければならない部分があるんです」。さらに「耳が出るように、と言われれば、はっきりしてますけどね」とも言った。なるほど、そういう事かと理解した。憶測をする際にも、長めにとらえる傾向はあるんじゃないか、とも思ったが、それは口に出さなかった。数値ではっきりと長さを指定しても、その通りにはなかなかやってくれないのが床屋である。客が何と言おうとも、とりあえずは見た目におかしくない範囲で仕上げるのがセオリーなのだろう。おかしくなる最大の要因は、おそらく切り過ぎである。

 そんな事を考えていたら、会社員だった頃、出張先のニューデリーで入った床屋を思い出した。現地事務所の駐在が長い同僚から勧められた店である。とにかく面白いから行ってみろと言われた。

 床屋といっても、大通りに面した屋根の下に椅子が置いてあるだけの粗末な構えであった。その前に立つと、店員が黙って椅子を指差し、座るようにうながす。終始無言である。「どうしますか?」などと聞きもしない。勝手に切り始める。手際は良い。よどみなく切り進め、5分も経たないうちに終了した。出来ばえは、特に格好良くもないが、おかしくもない。ひとことで言えば無難。料金は極めて安かった。

 

  



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